「参ったわね………これは………」
薄暗い森をトボトボと歩きながらルーナは呟いた。
寒さをしのぐ程度の厚みしか持たないマントに、機能性を重視した短めのスカート、樫を削って宝玉をはめ込んだ杖、そして頭には悟りを開いた者の証であるサークレット。
彼女は僧侶と魔法使いの両方の能力を併せ持つ上位職、賢者であった。
ただし…………、
「まさか転職した帰り道で迷うなんて………ついてないわ」
まだ賢者になりたて、レベルで言うならばまさに「1」である。
ルーナが僧侶から念願の賢者に転職したのが昼過ぎ。
その後すぐに転職を司るダーマ宮殿を後にして………そのまま森の中で道に迷ってしまった。
「変な見得なんて張るもんじゃないわね……」
普段から行動を共にしている仲間たちは、少し離れた村で待機している筈だ。
仲間の中では体力も無く、戦闘の度に足手まといになっていたルーナは、
この転職で仲間たちに追いつき、同時に少し驚かしてやろうと一計を案じた。
前日の朝、まだ夜が明けきらぬ内に置手紙を残して宿を抜け出す、
そこには「少し出かけてくる、二、三日中には戻る」と。
そして単身ダーマ宮殿へと赴き、見事に転職して仲間の元へ戻る…………はずだった。
それが、朝と夕方とでは森の表情はまるで違っており、
一人での行動など旅を始めてまるで経験の無いルーナは、ものの見事に迷子となってしまっていたのだ。
置手紙に「二、三日」などと書いておきながらその日の内に、という目論見が、思い切り裏目に出た。
おまけに、その「二、三日」のせいで、仲間もそうそう簡単に探しにはこないだろう。
強いて言えば、この森には滅多に強いモンスターが出ないことくらいが救いと言えば救いだった。
「はぁ………反省」
だが、この時彼女は気付いていなかった。
いくら反省してもしきれないほどの悲劇が、自分の身に襲い掛かろうとしているなど…………。
★
翌朝。
さすがに深夜の森を一人で歩く勇気は無く、木陰の窪みに身を隠して一夜を明かしたルーナは、
木々の間から差し込む朝日を頼りに歩き出した。
「これでなんとか道を見つけられればいいけど………あら?」
呟いたルーナの耳に、かすかに水音のようなものが聞こえた。
「川………? 泉でもあればラッキーなんだけど」
手持ちの食料は既に残り少なく、水筒の中身も無くなる寸前だ。
顔も洗いたいし、なにより…………、
「! やった、湖じゃない」
木々を割って突然目の前に広がる湖。
澄んだ水、そして適度な水温と深さは、まさにルーナが望んでいたものだった。
その大きな湖、地図で言うなら目的地と間反対へ出てしまっていることも忘れ、
ルーナはキョロキョロと周囲を見回した。
「さすがにこんな所で朝早くなら、誰もいないわよね」
辺りに人の気配が無いことを確かめると、岸辺に駆け寄ってマントの留め金を外す。
さらに手早く服を脱ぎ捨てると、朝日の中にルーナの裸身が現れた。
「んー、汗っぽくて気持ち悪かったのよねー」
パシャパシャと水を跳ねながら太股まで水につかり、一昼夜ぶんの汗を洗い流す。
さすがに冷水で髪を洗うことまではできなさそうだったが、
元々アウトワークを得意としない僧侶だったルーナとしては身体を洗えるだけでも十分だ。
清らかな水が、豊かな胸の谷間を滑って落ちる。
普段はなるべく目立たないように心がけているものの、ルーナの身体は女として「上玉」に分類される。
日焼けをほとんどせず、しみやくすみとは無縁の白い肌。
大きく、それでいて張りのある乳房の頂点には、その大きさに反して小さめの乳首。
くびれた腰から下への理想的なヒップラインは、瑞々しい果実を思わせた。
そして股間に茂る薄めの叢の奥には、まだ誰も触れたことの無い、
それこそ自慰すら片手で足りるほどしか経験したことのない秘華が眠っている。
男ならば目を奪われずにはいられないその肢体だが、本人がそれを「魅力」と感じたことはほとんど無い。
聖職者、とりわけ貞淑を旨とする女僧侶の身にあって、
豊満なバストやヒップは不釣合いな飾りに過ぎなかった。
僧侶時代のシンプルな作りの服は身体のラインを余計に引き立てさせ、
町を歩く度に男たちの欲望に満ちた視線にさらされているような気がしていたし、
僧侶仲間の間でも口にこそ出さないものの、羨望と嫉妬、そしてわずかばかりの侮蔑を感じていた。
だからこそ彼女は冒険者となる道を選び、女性ばかりのパーティに参加、
賢者へと転職することで、それまでの自分を払拭したいという気持ちもあったのだ。
「ふう、気持ちいい…………っと………ん………」
一通り身体を洗い終えたルーナが、わずかに身震いする。
下腹部にムズムズする感覚。危機的な一夜を過ごしたため久しく忘れていた生理行動が蘇ってきた。
「ちょっと冷えちゃったから………えーと」
いくら人のいない湖とは言え、開けた場所で「それ」をするのは躊躇われたのか、
ルーナは適当な茂みを見つけると、そこへしゃがみこむ。
「…………んぅ…………」
ショロショロショロショロ………………
軽く指先で開いた股間から迸る半透明な液体。
まだ冷たさの残る朝の地面にぶつかると、わずかに湯気を上げる。
若干冷えた上に下半身に力を入れているためか、その向こうでぴったりと閉じた秘華が時折ヒクッと動く。
『………………………………』
その時、ルーナは気付いていなかった。
朝の気配に紛れるようにして、そう遠くない木陰に潜んだ一対の目が自分を凝視していたことに。
衣服を脱ぎ捨て、湖に裸身をさらし、さらに物陰にしゃがみこんでの排泄行為。
その全てを見つめていた「ソレ」が、己の行為に集中するルーナを隙を突いてすぐ傍まで近寄っていたこと。
戦闘で前線に出る戦士であればすぐに感づいたそれも、ルーナが知る術は無い。
まだ二十年も生きていないとはいえ、身体も成熟した女が野外で排泄………、
そんな自分にどこか背徳的なものを感じつつも、ルーナは「ふぅ」と息を吐いて立ち上がった。
再び湖に入り、丁寧に股間を洗い流す。
「さて、色んな意味でさっぱりしたことだし、そろそろ行かないと」
冷静に考えれば、湖からそう遠くない位置に見えるダーマ宮殿のおかげで、方角が大体理解できる。
森自体はそれほど広くなかったから、おおまかな方角を間違えなければそう遠くない内に人のいる場所へ出られるはずだ。
身体を拭くには少し小さい手布で簡単に水を拭き取り、下着を身につける。
さっきは湖を発見した喜びでポイポイと脱ぎ捨ててしまったが、こうして冷静になると、かなり羞恥心が湧いてきた。
わずかに頬を染めつつも手早く服を着て、靴を履き、マントを羽織って……………。
「あれ? 杖、どこに置いたっけ?」
見ると、サークレットと一緒に置いた筈の杖が見当たらない。
そんなに高価なものではないのだが、あれが有るのと無いのとでは呪文の発動や威力で大きく差が出る。
失くしたとなればそれなりにショックだ。
「おっかしいなあ………確かこのあたりに………」
「探しているのハ、これカ?」
「!!!」
突然背後からかけられた声に、思わずビクッと肩を震わせる。
だが、そこはバックアップと言えどそれなりの経験を経てきた冒険者。
振り向くと同時に飛び下がり、声の主との距離を置く。
そして、振り向いた先にいたのは、
「エ、エリミネーター…………」
エリミネーター。
バーサーカーの一種で、殺人の悦びに溺れた戦士や、戦場を忘れられないはぐれ兵士などが、森の奥等に隠れ住む内により凶暴性を増し、半ばモンスター化した存在。
仲間たちとともに何度か遭遇したことはあったが、
(こんな所に出てくるなんて………)
マントと一体化した覆面、上半身はむき出しにされ、赤銅色の筋肉が大きく盛り上がっている。
下半身も、股間を覆う最低限の布にブーツ、その腕や足はルーナのそれの二倍近い太さ。
右手には使い込まれた「証」がそこここに赤黒く染み付いたハンドアックス、
そして左手にはまさにルーナが探していた杖が握られていた。
「こんな所に美味そうな獲物がいるとはナ。それもエラいエラい賢者様ガ、素っ裸で水浴びしてる上にコソコソとションベンまデ………。珍しいもん見たゼ」
分厚い覆面越しでくぐもった声に対し、饒舌なエリミネーター。
対するルーナは、全て見られていたという事実に見る見る顔を赤くする。
(くぅ………でも、私一人じゃ勝ち目なんて無いし………。杖が無いどころか、そもそも攻撃用の呪文だってろくに覚えてないんだから…………)
この遭遇に「たたかう」という選択肢は無い。
すぐさま周囲をうかがうと、ルーナはまだ何か喋ろうとするエリミネーターを無視して一気に横、森へ入る方向へと跳ぶ、
「悪いけど、相手なんてしてられないの!」
森に入ってしまえば、そう簡単には追いつけないはず。
そのまま走り去ろうとしたルーナだったが、
「逃げられると思ってるのカ?」
ザザザザザザッ
あっと言う間に、ルーナの目の前にエリミネーターの巨体が現れる。
明らかにスタートのタイミングは遅かった筈。
だが、この森をテリトリーとするエリミネーターにとってはこの程度、鬼ごっこにもならなかった。
「うそっ………!?」
驚いていられるのも束の間、ルーナが次にアクションを起こすより早く、エリミネーターの手が動く。
どすっ…………
「んくっ!? ……………ん」
小さく声をあげ、グッタリと倒れるルーナの身体をエリミネーターは片手で受け止める。
ルーナの鳩尾を突いたのは、他ならぬ彼女の杖だった。
「殺しはしなイ。たっぷりと楽しませてもらうゾ………」
気を失ったルーナを肩に担いで、エリミネーターは悠々と森の奥へ消えていく。
この力ない獲物をどう料理するか考えながら…………。